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アルコール

 

 

週末の居酒屋はいい。

明日は休み、という安堵感に包まれ、リラックスしてる人々の放つ柔らかな疲労。
それが酒とつまみと、串焼きを香ばしく焼く炭火の匂い、少し時代遅れの歌謡曲と混じり合い 穏やかに満たされた雰囲気を醸し出している。

そんな中、ナルトは どうして今日此処に来てしまったのだろうか?と少々苦々しい気持ちでいた。
チラリとカカシの方に目を向けると カカシも同じように思っているのだろう 少し疲れた哀れな三十路男の表情をしていた。

「二ヶ月ですよ?二ヶ月。いくらなんでも長過ぎる」

目の前にいるくノ一 春野サクラはすっかり泥酔し、アルコールの作用により 全身を桃色に染まらせ、薄翠の瞳はうっすら涙目になっている。

色っぽいことこの上ないのだが、頬を上気させて彼女の唇から発する言葉は、先程から長期任務から帰らぬうちはサスケの事で持ちきりだ。

「…サクラちゃん 飲み過ぎだってばよ」
幾度このセリフを唱えたであろう。
サクラは ナルトの言葉を完全に無視すると、ゴクゴクと音を立ててその細い首筋にビールを流し込み もう一杯!と店員に告げた。

20歳を過ぎ、こうして7班と酒を嗜むことが増えた。
カカシとサスケは水のように酒を飲むくせに、顔色ひとつ変えない。が、ナルトとサクラは呑めば呑むほど酔いは体を回るし、顔や肌が赤く染まる。
アルコールを呑む事が いつの間にかアルコールに呑まれる形となり、こないだ とうとうナルトは記憶をなくした。朝 目が覚めたら 自宅近くのゴミ収集所のゴミの上をベッドにしていた。

それ以来 飲み過ぎに注意しているところだ。

さて、噂で持ちきりのサスケは立派な上忍となり 多忙な日々を過ごしていた。暗部行きの話も嘘か真(まこと)かは別として、最近チラホラ聞く。
本人に聞いてもノラリクラリとかわされるのがオチで、そのサスケの態度が一層サクラの心に不安を重ねる結果となってしまっていた。

「…どうしよう…サスケくんが 暗部に行っちゃったら」
…その話 もう三回目だってばよ。サクラちゃん。

「あいつなら大丈夫だって!」
…ちなみにこれも三回目。

すると今まで あまりサクラをまともに相手にしていなかったカカシが口を開いた。

「サクラはどうしてサスケが暗部に行って欲しくないの?」
「…だって、普段の任務よりもずっと危険な任務を任されるようになるじゃないですか…」
「なるほどね~。でも一度暗部に所属したからといって、ずっと任されるわけじゃないよ?オレのように」
「カカシ先生はそうだったかもしれないけど…」
「そもそも暗部に入れる忍なんて 本当にごく一部だよ?厳しい基準を元に選びぬかれた選りすぐり、忍のエキスパートだ。そう簡単にヘマなんかしないでしょ」
「分かってます…。サスケくんを信じてないわけじゃないんです。ただ…」
「ただ…?」
「暗部に行くってことは、私たちに必ず秘密を持つようになるでしょ?…それが辛いんです」
「…」
「もちろん 仕方のないことだと思うし、私にだってナルトやカカシ先生に言えない秘密の1つや2つあります。でも、こうやってお酒を飲んで 任務の辛かったこととか 大変だったことを サスケくんは今以上に話せなくなる。…それが辛い」

「…」
オレにも言えない秘密ってなんだろう?とナルトは眉根を寄せる。

「相変わらずガキの発想だねぇ。サクラは」

「…そうですか?すみませんね」
サクラはむくれてプイとカカシから顔を背けた。珍しくカカシがサクラを焚きつけたので、ギシリと硬くなった空気にナルトがオロオロし始める。
カカシ先生 言い過ぎだって!と目で伝えても カカシは涼しい顔だ。

「…忍は恋をしちゃいけませんか?」
そっぽを向いたまま サクラが苦々しく言う。

「いけないだなんて一言も言ってないよ?サクラのサスケに対する気持ちはオレも良く分かってるつもりだもの」

ノホホンとした口調で 本気なのかふざけているのか分からないカカシの態度に ついにサクラの怒りも頂点に達したようだ。
サクラは滑らかに自分の気持を吐露し始めた。

「カカシ先生…私がどれだけサスケくんが好きか、本当に分かってるんですか!?
同じ時代に生まれ、忍を目指す者として出会い、彼と同じ班になれたことも、今こうしてサスケくんが無事に木の葉にいることも 私は完全な偶然だと思っています。大樹が散らした木の葉がたまたま重なったくらいの偶然…奇跡だわ!
恋は刹那的です。そんなの私だってわかります。『もし来世があるのなら それでも君を求めたい』とか陳腐なセリフをよく色んな所で見かけますけど 私は全然そうは思わない。
サスケくんの姿、形があって、声があって、眼差しがある。
幼い頃からサスケくんを慕っていた私がいて、彼の辛い過去があって、里から出て行ってしまって、必死に後を追って、戦って 今があって、そういう全ての出来事も 今のサスケくんを作ったし、今の私を作ったんです。
来世で同じ偶然が全て重なると思いますか?今の この時代に生きる彼だからこそ好きになったんです。だから後悔しないように精一杯、全力で彼を好きでいたい、愛したいです。
来世なんかあっても 私…きっと違う人に恋をしてしまうんです。きっと…」

そこまで一気に言うとサクラは 新たなジョッキのビールをまた一気に流し込んだ。その姿はなぜかとても悲しげに見えた。恋する女の病的で不貞腐れた感情にすぎないのだが、サクラの言葉はなぜかナルトの心を震わせた。サクラのわかり易い好意を寄せられているサスケが とても羨ましく見えた。

「オレ…便所行ってくる」
「お!奇遇だね~ナルトくん!」
ナルトはサクラのサスケに対する深い気持ちを目の当たりにしてしまい、少し落ち込んでいた。
そんなナルトの気持ちを察してなのか、ナルトとカカシが揃って席を立つ。

個室の襖を閉めると 小声でナルトが呟く。

「先生…オレ サクラちゃんの心の中に入り込む余地 完全にないってばよ」
「え!そう?」

安っぽい下駄を履いて 互いに便器へ向かう。

「え!そう?…ってカカシ先生は一体誰の味方なんだよ?」
「オレ?オレは教え子みんなの味方だよ?」
「よっくいうよ」
「なんだ~?ナルト 何か邪(よこしま)なこと考えてたのか?」

薄汚れて不衛生きまわりない洗面台でその手を洗い。下駄を脱ぐと 再び個室に向かう。

「考えてたも 何も…だー!もう!」
「どうせアレでしょ?べろんべろんに酔っ払ったサクラを送り狼しちゃおうかな~?とか その程度でしょ?」
「うわバッレバレ!ってゆーかその程度ってなんだってばよ!」
「サスケ帰って来ないし、サクラベロベロだし相当弱ってるもんね~。お前にはチャンス到来だね。キスぐらいさせてくれるんじゃない?
お前もそんなこと考えるようになったんだ。成長成長。あ、今度 イチャイチャシリーズ読む?貸そうか?勉強になるぞ」
「あんなエロ小説オレには必要ねぇ!」

 

「…なんだそれ」

「だーかーら!一夜の過ちってことで思い出を…って サスケェ!」
「お!おっかえりー!」

そこには まだ忍装束のままのサスケが憮然とした眼差しでナルトを見つめていた。

「今帰ってきたの?」
「あぁ」
「そう、お疲れ様。サクラがお待ちかねだよ?」
「おま…なんで此処に」
「…家の玄関に貼り紙がしてあった」
「サクラか 本当マメだねぇあの子。お前のこと心配して大変だったんだぞ。大切にしてやんなよ?」

…カカシ先生 やっぱ「教え子」の味方なんだな…
ナルトはなんとなくカカシを睨みつけた。

「サスケが来たなら、オレたちは帰ろうか?ナルト」
「え!?なにそれ…」
「いいからいいから!会計は済ませておいてやるからな サクラよろしく!」
「サスケェ!サクラちゃんに手ェだすなよ!?分かってんのか!」

カカシに首根っこを捕まれ 煩く喚き続けるナルトの声が遠ざかる。

その後姿を見て サスケは軽く溜息を吐いた。疲れて帰ってきてこれか、という気持ちでいっぱいだった。

サクラの待つ個室の襖を開けると サクラは座卓に両肘をつき 赤い両頬を掌に乗せ ウトウトしていた。その様子から相当飲んでいる気配を感じる。
パタリと控えめな音を立てて襖を閉めたのだが、その音がきっかけとなり サクラは酔で潤ませた瞳をサスケに向けた。
驚きで弾かれたようにその眼差しがサスケに釘付けになると、次の瞬間眉根がみるみる歪んで 悲痛な面持ちになる。
サスケは意味がわからない。

「…なんでこんなことするのよ。冗談にも程がある」
そう言って 俯いてしまった。

サスケは無表情のまま あっけに取られていた。自分で此処に呼び出しておきながら 何を言っているんだコイツは。

サクラの様子からして、自分の事を「ナルトの変化」だと思いこんでいるようだった。オレは本物だと言ってやればいいのだろうか。
しかし、それも少々癪だった。
泥酔しているとはいえ なぜ分からない?と軽く腹が立つ。

仕方なく 黙ったまま座卓を挟み、サクラの正面に胡座をかく。

「…カカシ先生は?」
「先帰った」
「…そう」

相変わらずサクラは俯いたままだ。しかし、サクラの態度がナルトに向けられたソレであることが新鮮で だんだんおかしく感じ、サスケはフッと小さく鼻を鳴らしてしまった。
何処まで騙せるだろう?と悪戯心に火がつく。

サクラがピクリと肩を揺らすと顔を上げた。

「…何よ。サスケくんソックリに化けちゃってさ。…昔はあんなに変化の術が下手だったくせに。そんなに恥ずかしがる私が面白いわけ?失礼しちゃう」
「…恥ずかしがってたのか?」
「恥ずかしいよ?…だってサスケくんを見たの 二ヶ月ぶりだもん」
「偽物だろう?」
「…う~~~ん」
そう言うとサクラはまじまじとサスケの顔を見つめる。

何処か粗探しをしてるような眼差しで サクラの表情は真剣だ。

「…あんた 本当に変化の術上手くなったわね。サスケくんそっくりだわ!すごくかっこいい!」

感心した声でサクラにそう言われて とうとうサスケは我慢できなくなってしまった。面白くてクスクス笑ってしまう。二ヶ月という長丁場の任務の疲れも吹き飛んでしまった。

「なんだか 態度までサスケくんっぽい!私に褒めてもらえて嬉しいでしょ?」
サクラが小首をかしげて微笑んだ。

「あぁ、なんだか嬉しいな」
「良かったね。…あ~ぁ サスケくんにますます会いたくなっちゃった 早く帰ってこないかな…」
切なそうにサクラはそう言うと 小さく溜息を吐く。

任務は二ヶ月丁度で終了したが、里に到着するのに数日時間を要した。
上層部にはその情報を伝えていたが、ナルト、サクラまで知らされなかったのだろう。自分のことを首を長くして待っていてくれたんだ、と思うと サスケは少しだけ胸が熱くなった。

サクラは サスケの目の前にハイタッチを求めるような高さで手をかざしてきた。

「?」
「ここに手を当てて」

言われたまま 黙ってサクラの手に自分の手をあてると、細いサクラの指がスルリとサスケの指を割って握りこまれた。

「…ナルト ありがと…ね。弱気になった私を慰めてくれたんでしょ?…サスケくん無事だよね…きっともうすぐ帰ってくるよね?」
「…あぁ」
サスケは少々咎める罪悪感を飲み込んで返事をすると、サクラは はぁ、と大きく息を吐き つないだ手をそのままに座卓に突っ伏してしまった。

「ごめん…もう少しだけ このままで居てもいい?」
握った手をぶらぶらと揺らしながら 甘えた声色で呟くサクラを見て 熱をおびた胸がチクリとする。
ナルトの前にだけ見せている 無防備なサクラの姿。
自分の前ではなかなか見せない、サクラのその態度にむくむくと嫉妬心が沸いてくる。

…サクラはどこまで「ナルト」に求めるのだろう?

そう思ってしまったが最後 試さずにいられなくなる。

繋いだ手をそのままに サスケはサクラの横へ移動した。
そんなサスケを不思議そうな目でサクラが見上げる。

「…抱きしめてもいいか?」
「…え!?」
弾かれるように驚くサクラの反応を見て、自分の口走った言葉に今更驚いてしまい、サスケはサクラからフイと目を逸らす。
…何を言ってるんだオレは…馬鹿か。

今言ったことを取り消そうと口を開きかけたその時、

「きょ…今日だけだったら…いいけど別に…」
もごもごとサクラが赤い顔をして答えた。その答えに驚いて思わずサクラの顔を見る。

「か…勘違いしないでよ?あんたが…珍しくサスケくんに変化してくれたから その…お礼っていうか…本当はサスケくんじゃなきゃ嫌なんだからね!特別よ特別!」
「…」

サクラがそっとサスケの腕に触れると サクラは大人しく胸に額を押し付けてきた。
自ら言い出したのだからと 自分に言い聞かせながら 複雑な気持ちでサクラの背に手を添えた。

斜め下にあるサクラの面を見下ろすと、緊張しているのか 身を固くしている。
そして 数秒で肩を押された。

「っはい!もうおしまい!」

抱擁というよりも 少し寄り添ったぐらいのもので。自分が抱き寄せたときの反応と全く違う事に驚く。

サクラのガードの硬さを目の当たりにして サスケはまた淡く微笑んでしまった。

「なんなのさっきから笑ってばっかで!ナルト気持ち悪い~」
サクラは相変わらず怪訝そうな顔でサスケを見ると すみませーん!と店員を呼ぶ。忙しそうに現れた店員にビールの追加注文をした後、
「ナルトは?ビール飲む?」
と聞かれ、サスケはコクリと頷いた。


普段のサクラなら絶対間違えないだろう。酔っぱらいの思い込みとは恐ろしい。…そろそろ本物だと気がついて欲しいものだ。
それとも今日は「偽物のサスケ」を演じきったほうがいいのだろうか?

注文したビールを持ってきたのはこの店の店長だった。
顔なじみということもあり、サスケに気さくに声をかけられる数少ない存在だ。

「お!サスケ君 おかえり!今回の任務は長かったなぁ」
「どうも」
「おじさんったら~!これ ナルトなんですよ!変化の術で 今サスケくんに変身してるの」
「ナルトならさっきカカシ先生と帰ったよ?なぁサスケくん」
「あぁ、まぁ」

「…え?」

「サスケくんが来て その後すぐ お二人帰られたもんな。間違いねぇよ。それにしてもサクラちゃん飲み過ぎじゃねぇか?サスケ君とナルト君の区別もつかないんじゃ もう酒は出せねぇな」

ははは!と軽快な笑い声を立てて店主は行ってしまった。

「…え?」
サクラが 信じられないと言った表情でサスケを見つめる。
事態が上手く理解できてないサクラの腕を サスケは引っ張った。

「え!?」

「…まだ、ナルトだと疑ってんのか?」
「!」

サクラの顔色がサーと音をたてるように青白くなる。呆然としながら小さく首を振る。

「お…か…えり…なさ…い」
「あぁ」
「…本当に?本当にサスケくんなの?」

まだ信じられない、と翡翠の瞳を大きくしたまま ウルリと揺らすサクラの唇に サスケは自分のそれを近づけた。

 

 

END

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